ビルマゆかりの碑(アウンサン将軍の足跡を辿る~浜松編~)

2020/10/26

Aung San 静岡 日本のミャンマー

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 Address : 静岡県浜松市西区呉松町大草山


浜名湖を眼下に見下ろす大草山の山頂に、ビルマゆかりの碑がひっそりと建つ。
浜松の地は「ビルマ建国の父」として知られるアウンサン将軍(Bogyoke Aung San)と縁深く、また「南機関」の機関長であった鈴木敬司(以下鈴木大佐)の出身地でもある。
南機関は太平洋戦争において、ビルマの独立運動の支援を任務として設立された特務機関で、ビルマゆかりの碑はその南機関の元機関員が中心となって1974年(昭和49年)に建立されたものである。


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1968年(昭和43年)、南機関の元機関員である泉谷達郎のもとに友人から仙台産の碑石が届いた。
彼はこの碑石を、鈴木大佐とアウンサン将軍両名の思い出を後世に残すために使用したいと考え鈴木家へと送り、既に故人となっていた鈴木大佐に代わり、妻の鈴木節の了解を得た上でその碑石を使用してビルマゆかりの碑を建立することとした。
建立にあたっては日緬戦友会の事務局長であった竹石美代志や同会幹部の川島威伸(元南機関員)、静岡ビルマ戦友会の会長であった山田元八等に相談し計画を進めていったという。
建立地に関しては鈴木大佐の実家があった浜松とし、幸いなことに当時の竹山祐太郎静岡県知事の協力を得ることができたことから浜名湖畔の大草山公園の一角に決定された。

こうして元第15軍司令官飯田祥二郎を会長として建設委員会が立ち上がり、地元浜松の有志をはじめ全国の関係者から協力を得て資金を集め、1974年(昭和49年)5月12日に多くの関係者の出席のもと除幕式が執り行われた。

完成した碑にはビルマ語で「日緬永遠の友好を」と刻まれ、日本とビルマの友好を願うとともに、ビルマで散った2,700余の静岡出身者の英霊を祀るものとして現在まで地元の人々により管理されている。
なお、アウンサン将軍の娘であるアウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)国家顧問が日本留学中の1986年に、ミンアウンフライン(Min Aung Hlaing)国軍最高司令官が2014年にこの碑を訪問するなど、現在まで日緬両国にとって重要な場所となっている。
また2014年から日本財団主催で毎年行われている「日本ミャンマー将官級交流プログラム」では必ずこの碑と鈴木大佐の墓を訪れている。


それでは次にアウンサン将軍と浜松との関係を見ていこう。

1937年(昭和12年)に始まった日中戦争は中国国民政府による徹底抗戦に加え、英米等による支援のため泥沼化していた。支援のためのルートは「援蒋ルート」と呼ばれ、その中でも最も輸送量が多いといわれていたのがラングーン港から鉄道を使用しラーショウ(Lashio)へと抜け、そこから道路で昆明~重慶を繋ぐ「ビルマルート」であった。
このビルマルートの遮断は日本にとって重要な問題であり、その方策として目を付けたのがビルマの独立運動であった。

1940年(昭和15年)6月、鈴木大佐は日緬協会書記兼読売新聞記者「南益世」と名乗ってラングーンへと入った。現地では日緬協会の大場忠や日本山妙法寺の永井行慈などの協力もあり、反英独立運動に関わるテインマウン(Thein Maung:後の初代駐日ビルマ大使)やタキン党(我らのビルマ協会)のタキンコードーマイン(Thakin Kodaw Hmaing)との接触に成功する。
そしてタキン党のタキンアウンサン(Thakin Aung San:後のアウンサン将軍)とタキンラミャイン(Thakin Hla Myaing)が海外からの支援を求め既にビルマを出国しアモイに潜伏しているという情報を得、テインマウンより両名の写真を手に入れた鈴木大佐は、アモイの日本租界憲兵に身柄の確保を依頼した。

同年11月、アモイで憲兵により身柄を拘束された2人は台湾、福岡を経由し11月8日(12日説有)に羽田飛行場へと降り立った。2人は日本とフィリピンのハーフとして、それぞれ面田紋次(アウンサン)と糸田貞一(ラミャイン)と名乗る。この命名については「緬甸」を分解して糸+面+田とし糸田/面田、両名の写真を渡したティモン(テインマウンの当時の日本での呼称)を分解しティ=貞、モン=紋として決められたといわれている。

こうして羽田飛行場へ降り立った2人のビルマ人であったが、実はこの時点で日本ではビルマ侵攻やビルマでの謀略についての具体的な計画はなく、両名を日本へと連れてきたこと自体が鈴木大佐の越権行為ともいわれていた。
そうした事情から2人の滞在場所にも苦慮し、まずは鈴木大佐が宿舎として使用していた神田の駿台荘に、そしてその後郷里の浜松へと連れていくこととなる。


前置きが長くなったが、こうしてアウンサンとラミャインは浜松の地を訪れる。
最初は浜松市鴨江にある妻の実家に住ませていたが、すぐに市内の噂となってしまったためその後弁天島の小松屋旅館や舘山寺の舘山寺観光ホテルなどを転々とする。
最終的に1940年暮れに東京高円寺へと移動することになり浜松を離れるが、2人にとっての初めての日本は浜松であったのだ。

では2人が滞在して「小松屋旅館」と「舘山寺観光ホテル」は今、どうなっているのだろうか。
次回以降、浜松に残ったアウンサン将軍の足跡を辿りたい。





浜名湖を望む

ロープウェイ駅を降りて右手側

2020/09撮影


参考文献:




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