北海道百年記念事業の一つとして建設された「北海道百年記念塔」。
1869年(明治2年)に蝦夷地が「北海道」と改められてから100年を迎えた1968年(昭和43年)11月に着工し、1970年(昭和45年)7月竣工、完成の翌年4月から一般公開が開始された。総工費約5億円。うち半分の2億5千万円を道内の企業や団体、個人からの寄付により賄ったという。井口健設計、伊藤組土建による施工。
建設から半世紀が経過し老朽化が進んだことから解体が決定しており、その姿を見ることができるのもあとわずかとなってしまった。
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1962年(昭和37年)に開かれた第一回北海道百年記念事業準備委員会において、当時の町村金五道知事が大規模なモニュメント建設を提言したのが始まりと言われている。
1967年(昭和42年)に設計公募を行い全国から寄せられた299点の作品の中から北海道今金町出身の井口健(当時29歳)の作品が採用されることとなった。なお、優秀賞の中には黒川紀章の作品が含まれていた。
100年にちなみ高さ100mで建てられたこの塔は、設計者の井口氏によれば「北海道開拓に尽くされた先人の労苦への感謝と未来の輝かしい郷土を建設しようとする遊民の決意をいかに造形的に表現するか」を意図し、「北海道の厳しい自然にうち克つたくましい生命力を造形的に追及」し、「特に未来性といった意識を強く打ち出したいと考え、重厚にして動的なデザインを追求」したという(新建築1971年6月号より)。
また基部の平面は雪の結晶である六角形となっており、8階部分に展望室が設置され、札幌市街や石狩平野を一望できたという。塔の入口付近に佐藤忠良によるレリーフ「開拓」が配置されている。
こうして建てられた記念塔であったが、その複雑な構造のために雨水がたまりやすく、壁面の腐食が予想よりも早く進行した。そのため1992年(平成4年)に2億円、1999年(平成11年)に3億5千万円をかけて大規模修繕を行うも完全修復には至らず、2014年(平成26年)には錆びた金属片が落下、2018年(平成30年)には台風21号の影響で約2mの金属片が落下するなど、老朽化は深刻な事態を迎えていた(2014年から周辺立入禁止)。
その後、存続に関して検討が行われたが今後50年間の維持費として
①展望台としての原状復帰:28.6億円
②現状維持:26.5億円
③除却:4.1億円
という試算がなされ、2018年12月、奇しくも着工から50年の年に解体が正式決定され、早ければ2021年度から解体が始まる予定となっている。
ちなみに江別市のカントリーサインにはこの塔が描かれており、2019年4月時点で少なくとも18の小中学校で校歌に、9校で校章に使われているという。
参考:
百年記念施設の継承と活用に関する考え方(平成29年11月)
北海道百年記念塔(けんちく が いっぱい)
北海道百年記念塔が老朽化で解体へ(北海道ファンマガジン)
伊藤組土建株式会社 建築実績
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