熊本県高森町、阿蘇五岳を望むらくだ山の中腹に、一基の仏舎利塔が建つ。
1977年(昭和52年)に完成した高さ約16mの仏舎利塔は、側面に仏陀の生涯に関するレリーフを配した特徴的な仏舎利塔である。
1967年(昭和42年)8月11日に行われた阿蘇山仙酔峡佛舎利塔の落慶式典において、高森町長の岩下八束(在任:1967-1984)が日本山妙法寺山主の藤井日達師と言葉を交わしたことがきっかけとなり高森町の仏舎利塔建立計画が動き出した。
岩下町長は太平洋戦争中、第107兵站病院(森第7006部隊)の一員としてビルマ戦線に従軍し、インパール作戦にも参加している。詳細は定かではないが、戦後、多くのビルマ戦線帰還兵がパゴダを模した慰霊塔を建立したことを考えると、岩下がパゴダ型の仏塔建立を思い立った背景に、ビルマでの体験が影響していた可能性は十分考えらえる。
建立の中心となったのは、高森町出身で日本山妙法寺の石山善邦師であった。
1971年(昭和46年)4月に着工し、石山師を中心として信者や地元住民たちによる勤労奉仕により建立が開始された。しかしその他の仏舎利塔同様、浄財と勤労奉仕を頼りとしたものであったことから、工事は当初の予定よりも大幅に遅れることとなった。
こうした状況を受け、1975年(昭和50年)8月に、岩下町長、松田冨男町議会議長、吉良茂商工会会長らが発起人となり、平和塔建立奉賛会が結成された。この時点で工事の進捗は60%程度と報じられており、奉賛会は工事促進を目的として、町内各地区ごとに推進委員を作り、500万円を目標として浄財を募ることとした。
また、発起人に町長が名を連ねていたこともあり、高森町としても積極的に協力し、建立用地の提供や取り付け道路の工事を行っている。
こうした支援の結果、奉賛会結成から2年後の1977年(昭和52年)8月11日、同地にて落慶大法要が執り行われた。
法要では藤井日達師が導師を務め、松田奉賛会会長、岩下奉賛会名誉会長らが参列したほか、地元住民や信徒ら約200人が出席した。式典では仏舎利の奉安に加え、戦没者などの戒名を刻んだ霊石も納められた。なお、奉安された仏舎利の由来については明らかになっていない。
完成した仏舎利塔は鉄筋コンクリート造りで高さ約16m、基壇直径27mで、壁面に仏陀の生涯に関するレリーフが配されている点が最大の特徴となっている。中央の仏龕には石造りの釈尊坐像が安置されている。
建立後は高森町の造り酒屋である山村酒造合名会社の山村一郎が修繕などの維持管理に尽力した。なお、山村も太平洋戦争においてビルマ戦線に従軍している。
また現在も石山善邦師の息子である石山善雄と石山敬常(ともに日本山妙法寺僧)が外壁の塗り替えなどを行い、維持管理を続けているという。
参考文献:
岩下八束:戦線回顧
広報たかもり No.192・No.217
高森町史編さん委員会 編:高森町史
高森町史編さん委員会 編:高森町史2(ふるさとの回顧と展望)
熊本日日新聞 1977/08/12
高森平和塔
Address : 熊本県阿蘇郡高森町高森2693-4
2021/12・2026/05撮影
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