国内の他の仏舎利塔と異なり、基壇が低くドーム部分が強調された形状を持つ福井平和塔。
福井市の足羽山(あすわやま)にあるこの平和塔(仏舎利塔)は、1959年(昭和34年)に日本国内では
熊本県の花岡山に続いて2基目となる日本山妙法寺により建立された仏舎利塔である。
内部には計6粒の仏舎利が奉祀されているという。
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1951年(昭和26年)、日本山妙法寺山主の藤井日達上人により福井で仏舎利塔の建立が発願された。実際に建立の中心となったのは福井精錬加工株式会社(現セーレン株式会社)に勤める岡野重雄で、岡野は建立地として足羽山の土地を私費で購入し、同年4月8日に地鎮祭を、6月28日には起工式を執り行った。起工式には熊谷太三郎福井市長や黒川誠三郎福井精錬加工社長など世話人役50名が参列した。
なお、この建立予定地は足羽山で最古の古墳といわれる稲荷山古墳の上であったため、建立前に発掘調査が行われている。
その後は1952年(昭和27年)に東京築地本願寺で開催された世界仏教徒会議に参加したダルメスワール博士(M. Dharmeshwar)が、会議ののちに仏舎利塔建立予定地を訪問、また1954年(昭和29年)4月2日にはインドから7名の僧が来日、藤井上人が導師を務めて仏舎利奉安式典が盛大に開催された。
しかしこの後しばらくの間、仏舎利塔建立計画は停滞する。
1956年(昭和31年)になってようやく具体的な建立計画が動き出し、10月1日に熊谷市長や潮田豊福井市議会議長などによる現地の検分が行われると、熊谷により福井大学工学部教授の坂部保治に設計が依頼された。
熊谷は郷土の建物は郷土の大学でという信条を有しており、この仏舎利塔の他、福井大空襲(1945年7月19日)や福井地震(1948年6月28日)により灰燼に帰した福井市街の再建に際し、その設計の多くを坂部に託している。
1958年(昭和33年)4月8日に改めて起工式が執り行われ、5月9日に奉賛会役員会により名称が福井平和塔へと改められた。
奉賛会のメンバーには会長として福井市長を長年務めた熊谷太三郎(株式会社熊谷組2代目社長、参議院議員)、副会長として福井精錬加工社長の黒川誠三郎、同じく福井精錬加工の取締役、福井市議会議長を務めた潮田豊、福井広撚商会(現広撚株式会社)創業者、福井精錬加工取締役、後に福井商工会議所14代会頭を務めた藤原長司などがその名を連ねた。
建立の中心となった岡野を始め、地元福井精錬加工の面々が建立に大きく関わっているが、日本山妙法寺と関係があるのは岡野だけで、福井精錬加工がこの建立に関わったのは熊谷との関係性によるものと考えられる(同社は戦災・震災復興に際し福井市長であった熊谷に非常に強力的であったという)。
ちなみに平和塔に隣接する日本山妙法寺福井道場の裏手には岡野の墓があるが、なぜか岡野重雄でも岡野家でもなく岡野「氏」となっている。
同年8月16日、塔上部に設置する九輪の火入れ式が佐々木恭順導師の元挙行され、熊谷や黒川を始め、早朝から多くの市民が集まった。また12月22日の福井市議会議決(議案第65号)により、平和塔が完成次第奉賛会から福井市へと寄付されること(寄付受納)が決議された。
そして翌1959年(昭和34年)4月8日の花まつりの日に除幕式、落慶法要、並びに竣工式が日本山妙法寺の藤井日達導師の元、盛大に開催された。また前日の7日には前夜祭として藤井上人を含む日本山妙法寺信徒約50名が福井市内を団扇太鼓とともに練り歩いた。その際、道路の左側を通行していたところを警察から右側を歩くように注意を受けるといった微笑ましい出来事もあったという。
こうして完成した平和塔は高さ24.2m、基底直径21.8mで鉄筋コンクリート造り。塔正面には施無畏与願印を結んだ釈尊座像が安置され、その総工費は約2300万円と言われている。塔内には初代インド首相のジャワハルラール・ネルー(Jawaharlal Nehru)より、藤井日達に送られた10粒のうちの1粒、所謂「ネルーの10粒」の他、クシナガラ(Kushinagar/釈迦入滅の地)より発掘された3粒、アショーカ王が建立したタキシラ(Taxila)の仏舎利塔より発掘された2粒の計6粒の仏舎利が奉祀されている。
1962年(昭和37年)には駐日セイロン(現スリランカ)大使のフォンセカ(Susantha de Fonseka)が塔建立3周年記念法要に参列した。
現在では訪れる人も少なくなってしまったが、当時は足羽山のシンボルともいえる存在であったという。
なお、本塔は敷地も含めて福井市の所有となっているが、維持・管理は長年奉賛会の事務局として株式会社熊谷組が担っていた。現在は塔に隣接する日本山妙法寺福井道場が維持・管理を行っている。
参考文献:
福井新聞 1951/04/09・1951/06/29・1958/08/16
市政週報 No.214/No.222
福井精錬加工:黒川誠三郎
福井精練加工:福井精錬70年史(1961)
斎藤優:越前福井市足羽山の古墳
北國年鑑(昭和29年版・昭和30年版・昭和37年版)
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日本山妙法寺福井道場 |
福井平和塔
Address : 福井県福井市小山谷町33-4-1 足羽山公園内
2023/05撮影
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