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比叡山延暦寺の麓、里坊の1つである霊山院にはビルマ釈尊像と名付けられた仏像が存在する。
アウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)も2度訪れたというこの仏像は先代住職の小寺文頴師がビルマから持ち帰ったものだ。
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小寺師は1932年(昭和7年)に滋賀県で生まれ、12歳で仏門に入った。比叡山高校、龍谷大学文学部仏教学科を卒業すると翌年から比叡山高校・中学の教師となった。
そして1957年(昭和32年)に叡山学院研究科を卒業した後、留学僧としてビルマへと赴くこととなる。このビルマへの留学僧派遣は日本釈尊正法会によるもので、60名近い応募者の中から小寺師を含む17名がビルマへと渡った。その中には既に当ブログで取り上げた土浦・佛照寺(ビルマ釈迦堂)の鴨崎仁彦師や京都・壬生寺の松浦俊海師、ビルマ仏教に関する著作で有名な池田正隆などもいた。
当寺の本尊であるビルマ釈尊像は、師がビルマ国際仏教宣教大学での2年間の留学生活を終えて1959年(昭和34年)に帰国する際、ウ・ヌー(U Nu)より託されたものだと伝えられている。
帰国後の師は廃寺であった霊山院を再興し、このビルマ釈尊像を本尊とする一方で、天台宗勧学院、龍谷大学大学院博士課程を修了するなど比叡山でも有数の学僧として頭角を現していく。
叡山学院学監・教授を務め後進の育成にも尽力し、自身は天台円戒の方面に優れた研究実績を残した。戒律の研究にはビルマでの留学経験も大いに活きたことが想像される。
残念ながら1982年(昭和57年)2月、49歳という若さで遷化された。
1986年(昭和61年)の元日、アウンサンスーチーが霊山院を訪問した。
アウンサンスーチーは1985年(昭和60年)から1986年にかけて京都大学の東南アジア研究センターの研究員として京都に滞在しており、滞在中は父であるアウンサン将軍(Aung San)に関する研究を行う一方で、イギリス時代からの友人である大津典子とも旧交を温めたという。
1986年の元日は、大津とともに日吉大社へ初詣に行った帰り道に霊山院を訪れた。ビルマ仏を前にしたアウンサンスーチーは普段とは違うしおらしい姿であったという。
そして2013年(平成25年)4月、27年ぶりの来日を果たした際にもこの霊山院を訪問しており、ビルマ釈尊像とも再会を果たしている。
*霊山院は常時開門していないため、拝観希望の際は事前に連絡が必要です。
2022/03撮影
参考文献:
大津典子:アウンサンスーチーへの手紙
叡山學院研究紀要(第七号 尾上・小寺両教授追悼号)
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