Address : 京都府京都市東山区高台寺下河原町526-2 京都東山霊山観音
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古都京都の東山において、ひと際存在感を放つ観音像。
霊山観音と名付けられた高さ24mほどの観音像のすぐ近くに、ビルマ戦線の慰霊碑が存在する。
「千歳輝」と刻まれたこの碑は第15師団(通称号:祭)歩兵第60連隊の戦友会により1967年(昭和42年)に建立されたもの。
なお、霊山観音自体が第二次世界大戦の戦没者及び戦争犠牲者を追悼するために1955年(昭和30年)に建立されたものである。
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同隊はその始まりを1905年(明治38年)まで遡る。
1925年(大正14年)、所謂宇垣軍縮によりいったん廃止されるも、1937年(昭和12年)4月に再編成され第15師団の中核部隊として中支の警備に当たり、武漢攻略戦・浙東・浙贛両作戦を始め諸作戦に参加しその勇名を轟かせた。
1943年(昭和18年)7月に中国大陸から南方へと転進。8月にサイゴンに上陸し、9月にバンコク集結、チェンマイ~トングー間の道路構築作業に従事した。
1944年(昭和19年)に入るとインパール作戦に参加すべくビルマ西部方面へと転戦。3月8日にインパール作戦が始まると、
ホマリン(ဟုမ္မလင်း)の南側からチンドウィン川を渡河し、北からインパールを目指した。数々の山を越え、谷を過ぎ、河を渡りつつ4月中旬にはインパール~コヒマ道まで進出、カングラトンビ(Kanglatongbi)攻略戦に参加。最もインパールへと接近したが、7月に作戦中止が決定、撤退した。なおこの作戦で同隊は戦死者1424名、戦傷死98名、戦病死577名、生死不明約269名を数えたという。
その後は盤作戦やイラワジ会戦に参加、5月にはモールメン(モーラミャイン)南方地区に集結し、8月タイへ転進。その地で終戦を迎えた。
1946年(昭和21年)5月にバンコクを出発し、6月浦賀上陸、復員完結。
この碑は1967年(昭和42年)4月29日に、同隊の戦友会である「京都祭60会」により建立された。
碑の揮毫は大覚寺門跡草薙全宜大僧正によるもので、「忠魂は永久に燦として輝く」という千歳輝の文字を岡山県産の白御影石に刻んでいる。碑はインパール方面を向き、上部の凹凸はアラカン山脈を模り、碑の前にある小石は海を表しているという。
主碑の横にあるもう1つの碑はインパール作戦当時の連隊長である松村弘により草稿されたもので、福島県産の黒御影石を使用している。
なお、同戦友会は会員の減少により2007年(平成19年)に解散しており、現在この碑は同戦友会の後継団体である「千歳碑護持会」により管理、慰霊祭の実施が行われている。
2022/01撮影
参考:
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