Address : 栃木県宇都宮市陽西町1-37 栃木県護国神社境内
栃木県宇都宮市にある護国神社の境内には3つのビルマ戦線関連碑が存在する。
そのうちの1つが1971年(昭和46年)に建立されたこの碑である。
「慰霊 戦友よ安からかに眠れ」と刻まれたこの碑は第33師団歩兵第214聯隊(通称号:弓6823部隊)の慰霊碑で、同隊の生存者により建立されたものである。
参考:
同隊は1939年(昭和14年)3月25日、会津若松において編成を終え、同年4月4日、新潟港より華中へと出征した。会津若松で編成されたことから通称「白虎部隊」とも呼ばれ、軍帽の星章の下に白狐のバッジを縫い付けていたという。
中国大陸にて贛湘(かんしょう)作戦 (1939年9月)、錦江作戦(1941年3月~4月)、中原会戦(1941年5月~6月)などに参加、1941年(昭和16年)12月8日に太平洋戦争が開戦すると南方戦線へと転戦。浦口より出港し翌1942年(昭和17年)1月10日にバンコクに上陸した。
バンコクから陸路でビルマへと進軍し、2月2日にはタイ・ビルマ国境を通過、ビリン河の戦い(Bilin River)やシッタン河畔の戦い(Sittang River)を経て3月にラングーンへと入城した。
その後は北進し、エナンジョン(Yenangyaung/ရေနံချောင်)の戦いなどに参加、日本軍がビルマ全域を制圧した後はインド・ビルマ国境の警備につく。
1944(昭和19年)年3月8日にインパール作戦が始まると南からインパールへと進軍していった。以降7月3日に作戦が中止されるまでの間に多くの犠牲者を出し、特に5月のインパール南方ビシェンプール(Bishnupur)攻略戦では参加した880名のうち820名が戦死したとも言われている。その後はイラワジ会戦などに参加しながら撤退を続け、最終的にモールメン(現モーラミャイン)近郊にて終戦を迎えた。
1946年(昭和21年)6月6日復員完結。
1971年(昭和46年)1月、ビルマ戦跡慰霊巡拝に参加した同隊戦友会の会長、増渕幹男は山野に散った英霊に碑の建立を誓い、碑中に奉納すべく現地の仏像と戦場の石を密かに日本へと運んだという。そして1971年9月20日、それらの仏像と石を奉納し、この慰霊碑が建立された。前述の通り「白虎部隊」の通称から碑の上部には白虎のマークがある。
「慰霊」の揮毫は当時の栃木県知事である横川信夫による。
また慰霊碑の手前にある名称碑は1990年(平成2年)8月15日に弓二一四友の会戦友会により建立。
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栃木県護国神社 |
2021/07撮影
参考文献:
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