Address : 長野県長野市箱清水3丁目
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参考文献:
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長野市の象徴ともいえる善光寺の後方1kmほどに高さ11mの白亜のパゴダが存在する。
ビルマ戦線の戦没者慰霊のために、ビルマ戦没者慰霊塔建設委員会により33回忌に合わせた1977年(昭和53年)6月12日に建てられたこのパゴダは、2匹の狛犬(チンテ?)とともに眼下に長野市街を望む。
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ビルマ戦没者慰霊塔建設委員会は1973年(昭和49年)ごろから全国各地の遺族、戦友にパゴダ建立を呼び掛けてきたという。その中心となったのは第15軍第33師団所属部隊で、案内板には歩兵第215連隊(高崎)、歩兵第214連隊(宇都宮)といった北関東出身者で編成された部隊の他、山砲兵第33連隊、輜重第33連隊、第33師団通信隊に加え、ビルマ南十字会、ビルマ第十三会といった戦友会の名前が並ぶ。
彼らの呼びかけにより全国から約1,500万円が集められ、1977年2月に着工、6月に完成し、12日には善光寺第120世法主である一条智光上人により慰霊法要が行われた。設計施工は地元長野市に本社を構える北野建設株式会社。
一見してわかるようにヤンゴンのシュエダゴンパゴダを模して建てられており、同じくシュエダゴンパゴダを模して建てられた鳥取パゴダ同様、下部が八角形である点や装飾部分などにシュエダゴンパゴダの特徴をよく写している。
パゴダ内部には戦没者名簿、ビルマから建設委員会が持ち帰った仏像や戦死者の遺品などが納められているという。
パゴダの手前に2匹並ぶ白御影石製の狛犬は1981年(昭和56年)に慰霊塔建設5周年を記念し約500万円をかけて作られたもの。
現在は地元長野市の長野りんどうライオンズクラブによって毎年慰霊法要が行われている。
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チンテ…には見えない |
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善光寺を見下ろす |
2021/04・2021/08撮影
信濃毎日新聞(1977/06/01・1977/06/13・1981/06/24)
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