Address : 茨城県水戸市見川1-2-1 茨城縣護國神社
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日本三名園の1つに数えられる水戸偕楽園。そのすぐ近くにある茨城縣護國神社の駐車場付近にひっそりと2つの慰霊碑が並ぶ。そのうちの1つは第33師団歩兵第213聯隊(通称号:弓6822部隊)の慰霊碑である。
なお、常総市にある鬼怒砂丘慰霊塔は同隊に所属していた稲葉茂によって建立されたものである。
参考:鬼怒砂丘慰霊塔
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当初第11軍戦闘序列に編入され中国大陸にて錦江作戦(1941年3月~4月)などの各作戦に参加、1941年(昭和16年)12月8日に太平洋戦争が開戦すると第15軍戦闘序列へと編入され南方戦線へと転戦。同隊は師団主力から少し遅れた2月初旬に南京を発ち、3月初旬にバンコクに上陸、その後陸路でビルマへと進軍していった。
4月に先行していた本隊とプローム(現ピイ/Pyay)で合流、エナンジョン(Yenangyaung/ရေနံချောင်)の戦いなどに参加し、日本軍がビルマ全域を制圧した後はビルマ中部の警備につく。
その後1942年(昭和17年)12月からの第一次アキャブ作戦に参加。
1944年(昭和19年)3月8日にインパール作戦が始まると南からインパールへと進軍していった。同隊は右突進隊としてヤザジョウ(Yazagyo)から北上し、パレル(Pallel)を経由しインパールを目指したが、パレル攻略戦において多くの犠牲者を出した上、攻略もできないまま7月3日に作戦中止となる。
その後はイラワジ会戦などに参加しながら6月にはテナセリム(現タニンダーリ/Tanintharyi)の警備につき、ビルマ・タイ国境付近にて終戦を迎える。
戦後30年余りが過ぎた1977年(昭和52年)11月、同隊の戦友会によって英霊の御魂を鎮め、その武勲を顕彰すべくこの碑が建立された。
「鎮魂」の揮毫は同隊で連隊長を務めた宮脇幸助元大佐、部隊名の揮毫は同じく同隊連隊長を務めた河原右丙元大佐による。
また隣に並ぶもう一つの碑はニューギニア戦における戦没者慰霊碑で1972年(昭和47年)2月に茨城県東部ニューギニア戦友会により建立されたもの。
なお、未確認だがもともとこの2つの碑は現在地ではなく道路を挟んで反対側の丸山と呼ばれる丘にあったという話もある。現在も丘の中腹には2つの基礎が残る。
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裏側 |
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茨城縣護国神社 |
2021/07撮影
参考文献:
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