Address : 徳島県徳島市眉山町茂助ヶ原
徳島市のシンボルともいえる眉山。その山頂に白亜のパゴダがある。
高さ25mと国内でも最大規模のパゴダは、徳島県ビルマ会によりビルマ戦線で命を落とした6,216人の徳島県民の御霊を慰めるため、そして世界の恒久平和を祈るために1958年(昭和33年)に建立されたものだ。
四国各県に存在するパゴダの中でも最も古い建立である。
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1953年、ビルマ戦線の復員者を中心に徳島県ビルマ会が結成された。
太平洋戦争における徳島県出身者の戦死者数は約3万人と言われ、そのうち1/5以上にあたる6,216人がビルマ戦線で亡くなった。そんな厳しい戦地から生き残った復員兵たちにより結成の翌1954年、ビルマ最大の聖地ともいえるシュエダゴンパゴダを模した慰霊塔の建立が発願された。
徳島市観光協会や徳島バス株式会社といった地元からの支援を中心に建立資金が集まり、発願から4年の1958年5月18日、眉山の麓、徳島市立新町小学校にて落慶法要が執り行われた。
この落慶法要には昭和天皇の義兄にあたる旧岡山藩主池田正隆(徳島県ビルマ会名誉総裁)及び厚子夫人(順宮厚子内親王)も臨席され、参列者は総勢3,000名を数えたという。
パゴダは3階建ての鉄筋コンクリート造りとなっており、1、2階が展示室に、3階が奉安室になっておりビルマから贈られた仏舎利が納められている。
この仏舎利は、徳島県出身で後に首相を務めた三木武夫の尽力により当時のビルマ首相であったウー・ヌ(U Nu)から贈られたもので、落慶法要に先駆ける1958年5月2日に徳島県ビルマ会と徳島県仏教会の両代表が直接ビルマに赴きウー・ヌより拝受したものである。
こうして建立されたパゴダだが、月日の経過とともに徳島県ビルマ会の高齢化が進み、維持管理が困難になっていった。そして1989年、パゴダを含む全ての資産を徳島県仏教会へと移管、以降は現在まで県仏教会により管理がなされているが、既に建立から半世紀以上が経過しており老朽化が深刻な問題となっている。
2008年には地元徳島市で眼科医を営む藤田善史が中心となり「平和記念塔パゴダを守る会」を結成し寄付を募り大規模な改修工事を行ったものの、現在も深刻な状況は続いている。
なお藤田医師は1999年よりミャンマーで眼科医療普及のボランティアを行っており、現在まで18回ミャンマーを訪問しているという。
県仏教会では積極的にこのパゴダの運用や広報に努めており、県仏教会所属の寺院による持ち回りの慰霊法要や内部での音楽会などのイベント開催、また毎年8月15日には戦没者慰霊法要と奉納阿波踊り、9月26日は戦没英霊過去帳慰霊法要を行うなど認知の向上に努めている。
パゴダ平和記念塔
*訪問した12月は本来閉館期間でしたが、徳島県仏教会様のご厚意により内部見学させていただきました。
ぱごだ
1階
2階
剥がれかけた床
眉山からの眺望
徳島市内からパゴダを望む
2020/12撮影
参考文献:
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