石庭で有名な京都龍安寺境内の一角に、小さなパゴダが存在する。
このパゴダは第二次世界大戦においてビルマ派遣野戦自動車廠として従軍し命を落とした戦友のために、この部隊の戦友会により建立されたもので、兵士の遺骨などが納められているという。
ビルマ派遣野戦自動車廠戦友会、通称「屋宇茶会」は1951年に発足した戦友会で、この通称はもちろんビルマ語のヤウチャー(ယောက်ျား:男性)から付けられたものである。
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第二次世界大戦のビルマ侵攻作戦において、龍安寺の住職であった松倉紹英(1908-1983)も第15軍野戦自動車廠に配属され従軍していた。
彼は終戦の翌年、無事日本に帰国し1948年に龍安寺の住職へと就任する。
そして1970年、彼が中心となり龍安寺境内に戦地で命を落とした戦友のための慰霊塔を建立することが発願された。既に発足していた屋宇茶会の会員たちによる募金により、1970年(昭和45年)8月に建立され、慰霊塔はパゴダの形となった。
屋宇茶会は1951年に発足しその最盛期には会員数百名を超え、年に一度、法要と懇親会が開催されていたという。しかし既に戦後75年が経過し、戦友会の中心であった帰還兵の多くは鬼籍に入り生存者も高齢となっている。
屋宇茶会のみならず多くの戦友会の存続が困難になっている中、この境内に残ったパゴダが、英霊の存在を未来へ伝えるものとして今後も管理なされていくことを願う。
なお、パゴダの横には「大東亜戦ビルマ方面戦没者慰霊之碑」が、階段を下りたところに「ビルマ派遣軍自動車廠戦没者英霊之碑」も存在する。
参考:
・やうちゃの足跡ービルマ戦線 ビルマ方面軍野戦自動車廠・第十五軍野戦自動車廠戦誌
・戦友会研究ノート:戦友会研究会
・「記憶 風化させぬ」 戦友会を遺族が支えて慰霊継続 会員の高齢化で(産経新聞 2014/08/12)
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