Address : Bogyoke Aung San Road, Latha Township, Yangon
14ヘクタールの敷地面積を誇るミャンマー最大の病院は1911年に完成した。
ヴィクトリアン様式で建てられたメインの病棟は
Secretariat(Ministers' Office)の設計を行ったHenry Hoyne-Foxにより設計され、1904年の着工から7年の歳月を経て1911年に完成した。
メインの建物以外はHenry Seton-Morrisによる設計で、その総工費は400万ルピーを超えたという。施工会社はBagchi & Company。
2017年12月、Yangon Heritage Trustにより19番目のBlue Plaqueに指定された。
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ラングーンで最初の総合病院は、1873年に現在Pan Pacific Hotelが建つ場所に開院した。木造の病院で1890年代には手狭となり、患者が外やベランダなどで寝るような状況となっていた。
そうした中、1900年代に入ると新たな病院の建設計画が持ち上がり、1904年に上述の通りHenry Hoyne-Foxによる設計で工事が始まる。1909年にメインの病棟が完成し、一部の病院機能を移して開院しその後数年にわたりその他の付設設備の工事を終え、1911年にラングーン総合病院が完成することとなる。
この建物はビルマにおいて初めてコンクリートを使用した建物と言われており、それ以外にも当時最新鋭の医療設備を有し、342の病床数を誇った。
なお、現在病院がある場所はかつてAgri-Horticultural GardensとPhayre Museumがあった場所である。
その後、日本による占領時は日本軍により占有されていたが、その時期を除きミャンマーで最大の病院として医療の中心的役割を果たし続けている。
独立以降、数度の改修や増築を経て現在では約2,000の病床を誇る名実ともにミャンマーで最大の病院となっている。また1984年には日本の無償資金協力により新ヤンゴン総合病院(New Yangon General Hospital)も完成した。
ちなみにこの病院は「ビルマ建国の父」と言われるアウンサン将軍(Bogyoke Aung San)が看護婦としてこの病院で働いていたキンチー(Daw Khin Kyi)と出会った場所としても有名であり、娘のアウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)が初めて演説を行った場所でもある。
同時に所謂8888民主化運動の際は軍による無差別虐殺が行われた場所でもあり、様々なミャンマーの歴史の舞台となってきた。
この病院の医療レベルについては関西福祉大学教授の勝田吉彰氏による体験記事が興味深い。
参考:
2019/10撮影
2019/01撮影
2018/03撮影
1920年ごろ ("Scenes in Burma"より)
参考文献:
Arnold Wright
White Lotus Co Ltd
Sarah Rooney
Serindia Publications, Inc
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