1928年創建のこのヒンドゥー寺院は、イギリス植民地下のラングーンでも著名な慈善家であったRaja Dr. S. Ramanatha Reddiarにより建てられたもので、ゴープラムを含む寺院の随所に刻まれた「ティラカ」の形状が、この寺院がヴィシュヌを奉るものであることを物語る。
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この寺院建立に大きな役割を担ったRamanatha Reddiarは1871年にラングーンで生まれた。
"Reddiar"の姓はテルグ系の地主や商人のカーストであることから彼もまたその出自を南インドに辿ることができると考えらえる。
彼の父親であるChidambaram Reddiarは当時すでにイギリスの植民地となっていたラングーンで事業を始め、12歳の時にRamanatha Reddiarも父の事業にかかわるようになる。また事業に携わりつつもルター派宣教師により設立されたLuthern Mission Schoolにも通っていたという。
前述のとおり"Reddiar"のカーストは比較的裕福であり、そういった事情から地元寺院のパトロンとして経済的な支援を担っていたという。
Ramanatha Reddiarもその例にもれず、寺院だけではなく病院の建設やラングーン大学(Rangoon University:現ヤンゴン大学)への図書館寄贈など、社会貢献活動に積極的に取り組んでいた。またラングーン大学の評議会メンバーやラングーン市の名誉判事を歴任するなど、当時の彼の社会的な成功を窺わせる。
こうした彼の慈善活動の一環として1928年に建てられたのがこの寺院である。
ゴープラムの中央部分など様々な場所に施されたティラカの形状からこの寺院がヴィシュヌを奉っていることがわかり、また寺院の内部にはRamanatha Reddiarの像もある。
この寺院建立から4年後の1932年にRamanatha Reddiarは死亡しており、彼にとってこの寺院建立は人生の集大成ともいえるものであったのかもしれない。
なお、先日Yangon Heritage TrustによってBlue Plaqueに指定された"BEHS No.1 Pazundaung"も彼によって建てられた学校で、現在まで校舎正面には"Reddiar"の名を見つけることができる。
*内部の撮影は許可を取ったうえで行っています。
Ramanatha Reddiarの像 |
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