29th Blue Plaque
1887年に設立されたミャンマーで最初の女性病院であるこのYangon Central Women's Hospitalはその旧称が示す通り、Dufferin Fundという基金により設立されたものである。
現在までヤンゴンのみならずミャンマーでも最大規模の病院となっており、800の病床を有する。
2019年3月、Yangon Heritage Trustより29番目のBlue Plaqueに指定された。
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19世紀後半、ビルマを含むイギリス領インド帝国において、医療環境の劣悪さは大きな問題であった。
特に出産に対する医療体制が未整備であり、「野蛮で非人道的な方法」での出産が行われており、医師や看護婦はもちろんのこと、助産婦の育成が大きな課題となっていた。
こうした状況の中、ヴィクトリア女王(Queen Victoria 在位1837-1901)はインド総督であったダファリン侯爵(Frederick Temple Hamilton-Temple-Blackwood, 1st Marquess of Dufferin and Ava)の妻であるLady Dufferin(Hariot Hamilton-Temple-Blackwood, Marchioness of Dufferin and Ava)にこの問題の解決を依頼し、女王の支援の下、1885年8月にCountess Dufferin Fundが設立された。
この基金は女性や子供の医療環境の向上や医療教育機関の設立、医療従事者の派遣を主目的としたもので、この基金によってインド帝国内に病院や医療系学校が設立されていくこととなる。
こうした流れの中、当時まだインド帝国の準州であった下ビルマにも1887年に女性のための病院が設立されることとなる。
なお、この際にはWoman's American Baptist Foreign Mission SocietyのDr. Maria C. Douglassを最初の教授として招聘している。
1897年にはD Buildingと呼ばれる敷地内で最も古い建物が建設され、その後も1929年から1930年にかけて増築(A/B/Cブロック)を行うなど規模を拡大していく。
ビルマの女性医師の先駆けといわれるDaw Saw SaやDaw Yin Mayもこの病院に勤務しており、病院としてはもちろんのこと教育機関として看護婦や助産婦の育成にも大いに貢献し、アウンサンスーチー(Aung San Su Kyi)の母であるDaw Khin Kyiもこの病院で学んだ後、Yangon General Hospitalに看護婦として勤務している。
その他、ビルマ生まれのイギリス人シンガーソングライターとして著名なNick Drake(Nicholas Rodney Drake : 1948/6/19-1974/11/25)が生まれたのもこの病院である。
旧Dufferin Garden
新棟 |
新棟 |
参考文献:
Arnold Wright
White Lotus Co Ltd
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