かつてSaint John's Convent Schoolと呼ばれたこの学校は、ラングーンにおいて最も古い学校の一つとも言われその創立は1861年まで遡るという。
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1856年に宣教活動のためにビルマにやってきたMEP(Paris Foreign Missions Society)のPaul Amboise Bigandetはカトリックの宣教だけでなく教育機関の設立にも尽力した。
彼の要請によりラングーンにやってきたラ・サール会(De La Salle Brothers)の修道士によって、最初のカトリックミッション系スクールとなるSaint Paul's High Schoolが1860年に設立された。
St. Paul's High Schoolは男子校で、当初はBigandetの自宅近くに小さな木造の校舎を建てて使用しており、恐らく少しして男子学生以外の生徒の受け入れを開始し、それがこのSt. John's Convent Schoolの始まりとなったのではないかと推測される。
1866年にBigandetはGood Shepherd Sisitersの修道女をラングーンに呼び寄せ、教育に関する活動を彼女たちに引き継がせた。
現在の場所に移転した時期及び、現存する校舎の建設時期について正確なことは不明だが、St. John's Convent Schoolの校舎がSt. Paul's High Schoolとよく似た点を考えれば、同時期の1885年ごろに移転、建設されたのではないとか考えられる。
この後Good Shepherd SisitersはラングーンにSatin Philomena's Girls' School(現BEHS No.2 Sanchaung)とSatin Vincent's School(現Catholic Bishop's Conference of Myanmar)を設立していく。なお、どちらもYangon City Heritage Listに掲載されている建築物である。
1917年には学校の隣地にあったドイツ人社交クラブのThe German Club(Der Deutsche Club:1867年設立)を購入した。
なおこの建物は1890年に建てられた特徴的な外観を有する貴重な建築で、現在までGood Shepherd Sistersのミャンマー本部として使用されているが、残念ながら一般立入不可に加えて外からその姿を確認することもできない。
1941年に日本軍がラングーンへ進駐するとこの学校も一時的に閉鎖され、運営主体であったGood Shepherd Sistersもラングーンを離れることとなるが、戦後の比較的早い段階で再開する。
1962年、ネウィン(Ne Win)によりクーデターとそれに伴う社会体制の変化から1965年にその他の学校と同様国有化され、Basic Education High School No.2 Lahtaと改称されたが、150年以上の歴史を有する名門校としての存在は現在まで変わることはない。
参考文献:
Arnold Wright
White Lotus Co Ltd
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