ファサードにバラ窓と控えな二本の塔を有する赤レンガ造りの教会は、1880年創建のビルマで最初のメソジスト監督教会(Methodist Episcopal Church)で、現存する教会堂は1931年ごろの竣工。
礎石は当時のビルマ総督であったCharles Alexander Innesにより1931年3月6日に置かれた。
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ビルマにおけるメソジスト派の歴史は1879年まで遡る。
当時カルカッタで宣教活動を行っていたJames Mills Thoburn(1836-1922)とF. E. Goodwinがラングーンへ到着し宣教活動を開始。
翌1880年には現在の場所に最初の教会を建設した。
ちなみにこのJames Mills Thoburnはインドにおけるメソジスト派宣教の中心人物であり、ビルマのあとはシンガポール、マレーシア、フィリピンで活動するなどアジア地域での宣教活動に従事した。
メソジスト派は宣教活動と並行して教育機関の設立にも力を入れており、到着から最初の25年間で20の都市に学校を設立したと言われている。教会の隣地にあるMethodist English High School(MEHS:現BEHS No.1 Dagon)も彼らの手によるもの。
こうした宣教活動の結果、1911年の国勢調査によれば1,675名の信徒がいたと記録されている(キリスト教徒全体では210,081人)。
その後、信徒の増加や教会の老朽化により、1931年に新たに現在の教会堂が建設されることとなった。
第二次世界大戦中、この教会はチャンドラ・ボース(Subhas Chandra Bose)率いるインド国民軍(Indian National Army)の本部として使用されていたという。
隣地のMEHSが爆撃により建物に大きな損傷を受けたのに対し、この教会は幸いなことに大きな被害を受けることはなかった。
戦後、上述の通りMEHSの校舎が大きな損傷を受けたことから、この教会を一時的に教室として使用することで学校を再開。
この時の牧師がFrank Ernest MantonでMEHSの校長であったDoreen Ashworth LogieとともにMEHSの再建に尽力した人物として知られている。
参考:
Basic Education High School No.1 Dagon (Methodist English High School)
1962年のクーデターで外国人宣教師が国外追放になってからは、ビルマ人牧師たちを中心に活動が継続され、2004年にはミャンマーにおけるメソジスト派の125周年記念式典が大々的に執り行われた。
なお、この教会では毎月第2日曜日に日本語での礼拝も行われている。
参考文献:
Dom Pub
Rena Pederson
Pegasus Books (2016-04-04)
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