21st Blue Plaque.
1882年に設立された、かつてMethodist English High Schoolと呼ばれたこの学校は、現ミャンマー国家顧問(State Councellor)でノーベル平和賞受賞者のアウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)やHtin Kyaw元大統領(在任:2016-2018)を輩出するなど、現在まで名門校として知られている。
2018年1月、Yangon Heritage Trustにより21番目のBlue Plaqueに指定された。
この学校は1882年にMethodist Women's Foreign Missionary Societyにより設立された。設立当初は現在の場所ではなくダウンタウンのLewis Street(現Seik Kan Thar Road)に位置しており、当時はMethodist Episcopal Girls' Schoolと呼ばれていた。
その後生徒数の増加から1894年に現在の場所へ移転し、現在まで残るこの3階建ての校舎も移転に合わせて建てられた。またこの頃校名をMethodist English Girls' High Schoolに変更。
当時は初等科(Grade 1-3)のみ男子の入学も認められており(後Grade 4まで拡大)、富裕層や政府高官の子女が多く通う名門校としてイギリス植民地下のビルマにおいて有名であったという。
しかしながら第二次世界大戦の勃発と日本軍によるラングーン占領により一時的に閉鎖(1941-1947)されており、また戦争により建物に大きな被害がでた。
戦後の1947年5月、閉鎖前まで当校で教師をしていたDoreen Ashworth Logie(1913-2002)と隣地にあるMethodist English Churchの牧師であったFrank Ernest Mantonを中心に学校が再開された。
再開当時は教会の一室を間借りして授業が行われていた。
アメリカのメソジスト派からの寄付を受けて、被害を受けた建物の修復や、また1952年には新たに4階建ての新校舎を建設するなど、"Not for School but for Life do we learn"をモットーに再び名門校としての地位を築いていく。
ちなみに新校舎はビルマ連邦初代大統領であるSao Shwe Thaik(在任:1948-1952)により礎石が置かれた。
またこの頃、校名をMethodist English High School(MEHS)に変更。
1962年、ネウィン(Ne Win)によりクーデターとそれに伴う社会体制の変化から1965年5月にその他の学校と同様国有化され、Basic Education High School No.1 Dagon(BEHS No.1 Dagon)となる。
しかしながら、以降もミャンマーにおける名門校としての地位は失われることはなく、現在も7,000人近い生徒を抱えミャンマーで最大規模の学校となっている。
ちなみに、クーデターの首謀者であるネウィンも、自身の子供6人全員をこの学校に通わせたという。
参考文献:
Dom Pub
Rena Pederson
Pegasus Books (2016-04-04)
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