田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ
三十六歌仙の一人、山部赤人が詠んだこの歌は、百人一首にも撰ばれ現在まで広く知られている。
その田子の浦に、白亜の仏舎利塔が建つ。
高さ約29mと、国内でも大規模な部類に入るこの仏舎利塔は、1981年(昭和56年)に落慶したもので、内部にはインドから持ち帰られた仏舎利が一粒、奉祀されているという。設計は多くの仏舎利塔を手掛けた大岡實による。
田子の浦は日本山妙法寺にとって、国内で最初の草庵を結んだ重要な地である。
1924年(大正13年)4月、藤井日達は当時の富士郡元吉原村(現富士市)に小さな草庵を建てた。関東大震災で焦土となった東京を目の当たりにした藤井日達が、「日本という国には中心が必要であり、その中心は皇室、そして地理的な中心地は富士山であるべきだ」と考えたことが、その背景にあったという。
その中心の地に1981年、仏舎利塔が湧現した。
建立の中心となったのは、当時の庵主であった土居徳桜尼師とその従兄弟にあたる大内綜順師であった。土居師は1963年(昭和38年)、20歳の若さで仏門に入り、田子の浦の庵で唱題三昧の修行の日々を送っていた。近隣にある香久山妙法寺の毘沙門天を拝し、富士塚から阿字神社を巡拝することが毎朝の日課であったという。
1970年(昭和45年)2月、土居師は仏舎利塔建立を発願し、当時の渡辺彦太郎富士市長と中村新吾富士市議会議長宛に、今後4年間を目途として仏舎利塔を建立したい旨の陳情書を送った。
そして1972年(昭和47年)9月に田子の浦仏舎利塔奉賛会が結成され、奉賛会会長には初代吉原市長を務めた鈴木清一が就任。そして翌10月7日に地鎮祭が執り行われた。地鎮祭には鈴川区管理委員長の鈴木実を始め、25名が参列した。
富士市との交渉の結果、1973年(昭和48年)3月に静岡県知事より土地の使用許可が下り、6月1日には建立予定地の所有者である鈴川財産区と建立奉賛会との間で、正式に賃借契約(期間30年、賃借料年15,000円)が結ばれた。それに先立つ4月には地盤調査も行われるなど、建立に向けた具体的な動きが本格化していく。
1974年(昭和49年)4月25日、起工式が行われ、1979年(昭和54年)8月26日には藤井日達が導師を務め仏舎利奉安式が執り行われた。この式典にはインド・スリランカから大使を含む約500人が参加したという。また奉祀された仏舎利は藤井日達がインドから持ち帰ったものだという。
そして1981年4月21日、同地にて落慶法要が営まれた。落慶法要には渡辺富士市長をはじめ、ちょうど4月22日から世界宗教者平和会議日本委員会の集会に参加するために来日していた56ヵ国189人の宗教関係者らを含む約500人が参列する盛大な式典となった。
参列者の中にはノーベル平和賞受賞者のフィリップ・ノエル=ベーカー(Philip Noel-Baker)や国連ユネスコ事務総長代理のデービット・イクスレイ、コロンボ市長のシリセーナ・コーライ(Sirisena Cooray)、ニカラグア文化大臣のエルネスト・カルデナル(Ernesto Cardenal)など、国際色豊かな顔ぶれが名を連ねていた。
余談ではあるが、この世界宗教者平和会議日本委員会が企画した「平和のための宗教者の研究集会」(4月27日)にはマザー・テレサも講師として参加しており、これが彼女にとっての初来日であった(ただし、この落慶式には参列していない)。
仏舎利塔は高さ約29m、基壇直径約22mの鉄筋コンクリート造りで、工費は約8000万円。国内でも有数の規模を誇る仏舎利塔である。正面に転法輪印を結んだ坐像、左側面に降誕仏、右側面に合掌仏、背面に涅槃仏が祀られている。「日本の仏舎利塔」によれば1985年時点では正面と右側面の2像以外に仏像は安置されていなかったとされており、残る2体の仏像がいつ安置されたかは残念ながら不明である。
設計は前述の通り大岡實によるもので、二重の欄楯の上部に蓮弁を巡らせた意匠は、この仏舎利塔の一番の特徴といえるだろう。
また仏舎利塔の内部には富士市民による祈願石も奉納されているという。建立に際しては鈴川財産区の所有地が貸し出されており、現地の建立碑文には奉賛会と並んで富士市町内会連合会の名も刻まれているなど、地域からの強い支援を受けて建立されたことがうかがえる。
仏舎利塔から東へ少し進んだ場所には日本山妙法寺田子浦道場があり、その敷地内には日蓮上人像とマハトマ・ガンディーの胸像(1961年10月5日建立)が建てられている。田子浦道場は、後に日印サルボダヤ交友会館としても使用されており、そういった経緯からガンディー像が建てられたものと考えられる。
現在この道場は日本山妙法寺から明光院へと譲渡されている。
最後に、本件土地の賃貸借契約の経緯については富士市に対して照会を行った。富士市の回答によれば、鈴川財産区と奉賛会との間で締結された賃貸借契約は、契約期間満了後も更新され、現在も継続しているとされている。一方で、更新に関する契約書の原本は現存しておらず、契約内容の詳細については確認できない状況にある。
また、本件土地の貸付事務および貸付料の徴収事務は、2010年度(平成22年度)以降、富士市が鈴川財産区から引き継いで行っている。
参考文献:
大岡實:仏舎利塔の由来とその変遷
鈴木富男:鈴川の歴史
静岡新聞 1979/08/28・1981/04/22
Address : 静岡県富士市鈴川字砂山621-6 富士と港の見える公園内
2020/09・2022/11・2026/02撮影
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