1999年(平成11年)10月3日、広島県の山中に一基の仏舎利塔が湧現した。
高さ16mと比較的小規模だが、国内外に建てられた仏舎利塔の多くが昭和期の建立であるのに対して、平成に入ってから完成した数少ない比較的新しい仏舎利塔の1つである。内部には仏舎利が1粒奉祀されている。
1997年(平成9年)、美土里町(現安芸高田市美土里町)に住む日南弘宗(ひなこうそう)により仏舎利塔の建立が発願された。日南は1945年(昭和20年)8月6日に広島市の兵器工場で被爆している。当時18歳だったという。その体験が彼の人生に深い影響を与えているだろうことは想像に難くなく、戦後、日南は非暴力世界平和を目指す日本山妙法寺の信者となった。1973年(昭和48年)にはフランス・ソ連の核実験に抗議するハンストに、また1981年(昭和56年)にはアメリカの核実験に抗議する座り込みに参加するなど、平和運動への傾倒を強めていった。
そんな彼が1997年、「原爆の悲惨さを二度と繰り返してはならない、世界平和の発祥地に」と自身の所有する山を建立地とし、仏舎利塔の建立を発願した。そして日本山妙法寺広島道場の川岸行幸上人を介して知り合ったと思われる広島市の中本龍彦がその願いを実現するために奔走した。中本は土木業を営む株式会社広島中本組の取締役(のち代表取締役)を務めており、仏舎利塔の設計から施工までを一貫して担った。1997年に着工した工事は、全国から集まった日本山妙法寺の出家僧や、信者、関係者らの勤労奉仕によって進められ、約2年の歳月をかけて完成。
そして1999年10月3日、各国の駐日大使を来賓とし、当時の日本山妙法寺首座であった塙行幸上人が導師を務め、落慶法要が行われた。
式典には駐日ネパール大使のケダル・バクダ・マテマ(Kedar Bhakta Mathema)夫妻、駐日スリランカ大使夫妻、駐日カンボジア大使のイン・キエット(In Kiet)夫妻、そして駐日インド大使代理として参事官のヴィシュヌ・ブラカシュ(Vishnu Prakash)夫妻の計8名が臨席。
さらに日本からも、後に内閣総理大臣を務める岸田文雄をはじめ、衆議院議員の粟屋敏信、美土里町町長の織田邦夫、広島県議会議員児玉浩、株式会社紀ノ国屋社長で日本山妙法寺信者の増井徳太郎など、政財界から多くの来賓が参列した。
その他、日本山妙法寺の僧職約100名に加え、浄土真宗本願寺派や天台宗、真言宗など他宗派からも計5名の僧侶が参加。関係者、一般参列者あわせて約800名の大規模な式典であったという。
また式典に先立つ10月2日には広島市のリーガロイヤルホテル広島にて「美土里仏舎利塔落成 駐日各国大使歓迎祝賀会」も執り行われ、そちらには藤田雄山広島県知事や秋葉忠利広島市長など約300名が参加した。
仏舎利塔は高さ16m、直径15.5m、鉄筋コンクリート造りで、正面に初転法輪の釈尊像を安置し、内部にイギリスのミルトン・ケインズ(Milton Keynes)にある日本山妙法寺を通じて贈られた仏舎利が一粒奉祀された。
また塔の外周にはドームを囲うようにレリーフが配置されており、それぞれ託胎・降誕・出城・落髪・牧女の供養・降魔成道・初転法輪・涅槃・閻浮八塔の場面が描かれ、八相成道を意識したものとなっている。
その後、2005年(平成16年)5月には建立5周年を記念して参道のコンクリート舗装が、また最近になって駐車場が整備されたり建立後も整備が進められている。確認できた範囲ではあるが、2016年(平成28年)と2022年(令和4年)にそれぞれ17周年、23周年の記念法要も執り行われている。
なお、設計・施工を担った株式会社広島中本組は2021年(令和3年)に廃業している。
参考文献:
中本秀秋:平和への願い ~激動の時代を生きて~
美土里町史編修委員会編:美土里の歴史と伝説
原水爆禁止広島県協議会:ヒロシマの記録 核実験抗議座り込み10年
美土里平和佛舎利塔
Address : 広島県安芸高田市美土里町生田
2021/05撮影














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