肥前仏舎利塔(仏舎利ハンター日誌 Vol.15)


高さ38m。国内でも最大級の大きさを誇る牛津仏舎利塔。
1986年(昭和61年)5月11日に完成したこの仏舎利塔には、スリランカから贈られた仏舎利が3粒奉祀されているという。設計は国内外多くの仏舎利塔を手掛けた大岡實。

1959年(昭和34年)、日本山妙法寺山主の藤井日達の発願により、佐賀県に仏舎利塔の建立計画が立ち上がった。この時点では工費3,000万円、高さ40mで翌年4月に着工する計画であったという。
建立予定地として、佐賀平野を一望できる牛津町(現小城市)の三宝山が選ばれ、牛津町としても観光振興の一環として建立に協力する方向で進んでいた。
1960年(昭和35年)3月4日、大宝塔建立に先立ち、建立予定地に小宝塔が建立され落慶法要が執り行われた。そして同年4月1日、佐賀仏舎利塔の定礎式が開催され、藤井上人が導師を務め、セイロン(現スリランカ)からナーランダ・テッサ(Narada Maha Thera)大僧正を含む5名の仏教巡拝団も参列した。定礎式では先立って建立された小宝塔に、インドから持ち帰られた仏舎利が奉祀された。なお、その後この小宝塔から仏舎利が動かされたという記録はなく、恐らく現在も仏舎利が奉祀されていると考えられる。

その後、鹿島鍋島家第15代当主で、佐賀県知事や参議院議員を務めた鍋島直紹が世話人代表として佐賀仏舎利塔建立奉賛会準備会が結成された。高さ39mの大宝塔と、2基の小宝塔を建立(うち一基は既に建立済)する計画で、地元牛津町としても全面的に協力し、持永秋雄牛津町長や関川町議会議長の他、町民や信徒が勤労奉仕として山麓から山頂まで宝塔に使う石を担ぎ上げたり地ならしを行った。

1961年(昭和36年)、建立奉賛会が正式に組織された。名誉会長に準備会の世話人代表であった鍋島が、そして会長に佐賀新聞社社長の中尾都昭、副会長に肥前衣料の兵働弥七、牛津町町長の持永秋雄、佐賀商工会会頭の桐山篤三(佐賀ロータリークラブ初代会長・日本通運佐賀支店長)、大坪ふとん店の大坪武平(佐賀法人会初代会長)、佐賀市議会副議長の江頭春治がそれぞれ就任した。
同年9月3日、起工式が執り行われ、定礎式同様藤井上人が導師を務めて約800名が参列。一般参列者の他、海外代表としてビルマ(現ミャンマー)、インド、セイロンなどの巡拝僧15名、またアメリカ、西ドイツからも関係者が参列した。なお、ビルマからの参列者はウ・オッタマである。
また、この時点では牛津の他、佐賀市金立町にも大宝塔建立の計画があった(実現せず)。

しかし盛大な起工式とは裏腹に、その他の仏舎利塔同様こちらの仏舎利塔建立計画も予定通りには進まなかった。
起工式以降は特段計画の進捗に関する報道もなく、1966年(昭和41年)に仏舎利塔の建立に合わせてハイクコースの整備など、観光開発が進められる予定であると伝えられた程度であった。またこの際に山麓僧坊に住む2名の尼僧が托鉢行脚を続け浄財を募り、5年計画で推進する予定であるともあわせて伝えられた。

1971年(昭和46年)、先述した2名の尼僧のうちの1人、池田川奈尼僧が中心となり、ついに仏舎利塔が着工した。仏舎利塔設計者である大岡實の設計図に残る最も古い日付も1971年であり、大岡がこの仏舎利塔の設計を行ったのもこの時期と考えられる(大岡實研究所 牛津仏舎利塔)。
その後、僧俗一体の勤労奉仕により10年の歳月をかけて1986年(昭和61年)5月、ついに仏舎利塔が完成した。

落慶法要に先立ち、まず3月11日に仏舎利塔の四面に仏像が安置された。仏像はそれぞれ転法輪印、降誕仏、触地印、涅槃仏の4仏で京都の仏像専門メーカーによって作られ大型クレーンで設置された。
続いて5月4日には駐日スリランカ大使のアーサー・バスナヤケ(Arthur Basnayake)夫妻が仏舎利塔を訪れ、本国スリランカより贈られた仏舎利を奉祀した。奉祀された3粒の仏舎利は仏舎利塔を象った約10㎝程の舎利容器に納められたという。
そして5月11日、計画の始まりから30年以上の歳月を経て、佐賀に仏舎利塔が湧現した。落慶式典にはバスナヤケ駐日スリランカ大使、ダオ・フイ・ゴック(Đào Huy Ngọc)駐日ベトナム大使、金吉松中国福岡総領事など6か国代表に加え、一般参列者800名が参列し盛大に執り行われた。
長く険しい道であったが、日本で最大といわれる仏舎利塔が湧現した瞬間である。

以降、佐賀市内を走る国道からもよく見えるこの仏舎利塔は一つのランドマークとして親しまれ、小城市が作成している「小城自慢画」のマップにも掲載されている。
毎年5月には周年式典も開かれており、比較的よく管理された仏舎利塔の1つであると言えるだろう。


参考文献:
佐賀新聞
1959/11/11・1960/03/29・1960/04/01・1961/06/03・1961/06/25
1961/09/05・1966/01/25・1986/03/11・1986/05/05・1986/05/13
西日本新聞
1961/09/04・1986/05/13
小城市総合戦略課:小城自慢画











小宝塔


「小城自慢画」より


肥前仏舎利塔(牛津仏舎利塔)
Address : 佐賀県小城市牛津町上砥川谷2256

2021/11・2025/05撮影



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