函館仏舎利塔(仏舎利ハンター日誌 Vol.14)


函館の市街地を一望できる函館山。日本三大夜景にも選ばれたこの山の麓に、かつて小さな仏舎利塔が存在していた。インド初代首相のジャワハルラール・ネルー(Jawaharlal Nehru)より贈られた仏舎利が奉祀された小さな白亜の仏舎利塔は、10年ほど前に撤去され今ではほとんどの人の記憶からも消えかけてしまっている。


1954年(昭和29年)5月20日、ネルーより贈られた仏舎利を安置するための大宝塔建設地鎮祭が盛大に執り行われた。
式典にはインド、セイロン(現スリランカ)、イギリス、オーストラリア、カナダなどの海外代表を始め、当時の函館市長である宗藤大陸が奉賛会長を務める宝塔建立奉賛会、函館仏教協会、その他信者など約200名が参列した。
式典ではインド代表のデヴァプリヤ・ヴァリシンハ(Devapriya Valisinha)より宗藤へと仏舎利が手渡され、出席者一同の読経のうちに仮宝塔へと奉祀された。この時点では工費1,000万円で翌1955年の秋ごろを目途に大宝塔の建立が計画されていた。

大宝塔の建立は、市長の宗藤と、函館市立図書館の館長を務めた元木省吾が中心となり進められることとなった。宗藤が中心となったことから、函館市としても全面的に協力することとなり、小宝塔の敷地並びに費用の大部分を市が負担、建設に関しても市の土木部が担当した。
しかし宗藤が1955年(昭和30年)4月の市長選に敗北し、中心人物の片輪が不在となってしまったのが一因か、計画はその他の仏舎利塔同様、停滞していく。

地鎮祭以降、1959年(昭和34年)8月19日にインドから仏舎利塔巡拝団20名が、日本各地の仏舎利塔を巡拝する途中に函館にも立ち寄った。一行は函館市役所で吉谷一次市長と懇談後、仏舎利塔、日本山妙法寺函館道場を訪問したのち、釧路へと向かい釧路城山佛舎利塔の落慶式典(8月21日)に参列している。
また1961年(昭和36年)8月22日にも別の巡拝団が函館を訪問。この時の巡拝団はインドだけではなくビルマ(現ミャンマー)、タイ、フランス、アメリカ、ソ連、中国など計14か国の宗教関係者で構成されていた。午後2時から仏舎利塔前で平和祈願祭を行い、その後市内の労働会館で講演会を開催した。なお、講演会には駐日セイロン大使のフォンセイカ(Susantha de Fonseka)も参加した。

同年8月31日には仏舎利塔前で函館山の物故者、海難者の霊を慰める総供養大法要も行われた。その他、地鎮祭が行われた5月20日には、毎年日本山妙法寺函館道場主の住吉隆妙師が中心となって読経供養を行っていた。

1961/08/31総供養大法要(函館市中央デジタル資料館)

1961/08/31総供養大法要(函館市中央デジタル資料館)

1961/08/31総供養大法要(函館市中央デジタル資料館)

このように定期的に式典などが行われてはきたが、一向に大宝塔が建立されることはなかった。
1964年(昭和39年)、改めて宗藤が大宝塔建立奉賛会を組織。高さ21m、基部直径22mで工費2,000万円、2年後の完成を目指し再び建立計画が動き出したように見えた。
しかし残念ながらこの計画も完遂されることはなく、以降仏舎利塔建立の話は市民の間でも話題に上がることもなくなってしまった。


時は流れ2010年(平成22年)、函館仏舎利塔にとって大きな転機となる最高裁判決が下された。
北海道砂川市が公有地を神社施設に対して無償貸与していた件が、憲法の定める政教分離原則に違反するとされた判決である。2010年1月20日、最高裁は「一般人の目から見て、市が特定の宗教に対して特別な便益を提供し、これを援助していると評価されてもやむを得ない」と指摘し、無償貸与を憲法違反と判断した。
本件のように公有地を宗教施設へ無償貸与している事例は砂川市に限らず全国に存在しており、この函館仏舎利塔もその一つであった。

この判決を受けて函館市は市内全域で調査を実施。その結果、同年3月26日、公有地の無償貸与が19件確認されたと発表した。この時点ではそれぞれの宗教施設側と協議し、売却や賃貸などの方法で無償貸与の状態を解消する方針であった。しかし、函館仏舎利塔は2011年(平成23年)に撤去されることとなる。

なぜそうした方針がとられず撤去となったかの理由については不明だが、ちょうどこの頃に日本山妙法寺函館道場が閉鎖されており、本来は協議のうえで対応を決めるはずだったものの、協議相手の函館道場が存在しなかったことから函館仏舎利塔は撤去されたのではないかと考えられる。
タウンページを確認したところ、職業別タウンページでは2009年版で既に日本山妙法寺の記載はなく、確認ができるものとしては2007年版が最後となっている(2008年版は函館市中央図書館に所蔵無く未確認)。

撤去について函館市土木課に問い合わせたところ、撤去の時期は2011年であることは確認できたが、撤去工事の詳細や撤去後に奉祀されていた仏舎利がどうなったかなどについては不明であった。
Googleストリートビューのもっとも古いものが2011年9月であるが、この時点で既に仏舎利塔は確認できない。またウェブ上で仏舎利塔が確認できるものもほとんどなく、唯一「はこだて自然倶楽部」のブログ内にて2007年9月2011年5月に確認ができる。
この2011年5月の写真が仏舎利塔が確認できる最後のものであり、恐らくここから2011年9月の間に撤去工事が行われたのではないかと推定される。

残念ながら正確な跡地の特定もできなかったが、おおよその位置として現在のいこいの広場内、キャンプ施設の横付近でないかと考えらえる。

2011年まで存在していながら、その姿をほとんど記録されることもなく、そして現在ではその存在自体も記憶から消えかけている。発願時の祈りや願いも、このまま消えていってしまうのだろうか。


なお、仏舎利ハンター協会では函館仏舎利塔の写真を募集しております。お持ちの方は是非ご連絡ください。


参考文献:
財団ニュースステップアップ Vol.86
北海道新聞 1954/05/20・1954/05/21・1959/08/19・1961/08/23・1961/09/01・1964/11/18・2010/03/27
タウンページ 職業別(2007年版・2009年版)

推定地





函館仏舎利塔(撤去済み)
Address : 北海道函館市青柳町 いこいの広場

2025/05撮影



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