宇都宮市の水道山に建つ栃木縣平和佛舎利塔。
基壇最下部に大谷石が使用されており、この仏舎利塔が栃木県のものであることがひと目でわかるだろう。
高さ31m、直径30mの栃木縣平和佛舎利塔は1964年(昭和39年)に完成したもので、初代インド首相のジャワハルラール・ネルー(Jawaharlal Nehru)より贈られた仏舎利が1粒、奉祀されている。
1954年(昭和29年)5月11日18時45分、1粒の仏舎利を奉持した10名の団体が宇都宮駅に到着した。10名は世界平和者日本会議に出席するために来日中だったデバプリヤ・ヴァリシンハ(Devapriya Valisinha)、サレンドラ・ナドグプタ(以上2名インド)、サラナンカラ長老、ダルメスワール(M. Dharmeshwar)長老、ニヤーナブマラ長老、ウバハーヰ長老(以上4名セイロン)、グラディス・オーウェン(Gladys Owen:イギリス)、ドロシー・グレゴリー(Dorothy Gregory:オーストラリア)の8名に加え、日本から日本山妙法寺山主の藤井日達上人と日本キリスト教婦人矯風会の野々宮初枝である。彼らは翌12日に行われる仏舎利塔の地鎮祭に参加するために宇都宮を来訪したのだ。
栃木県仏舎利塔建立奉賛会理事長の小田垣健一郎(小田垣酒造株式会社代表、栃木県議会議長、後の壬生町町長)と事務局長の人見貞開(栃木県宗教連盟理事長、輪王寺執事長)がこれを迎え、その日は下野新聞社本社3階にあった下野会館にて開催された晩餐会に出席した。
翌12日、一行は県庁・市役所を訪問し県知事・市長と懇談したのち、仏舎利塔の建立予定地である水道山へと向かった。予定地には大宝塔が完成するまでの間、仏舎利を仮安置するために大谷石造りの仮宝塔が地鎮祭に先立ち建立されており、12時30分から開催された建立地鎮祭において奉持された仏舎利はこの仮宝塔へと奉安された。
この仏舎利は先述の通りネルー首相より日本へ贈られた10粒の仏舎利のうちの1粒で、所謂「ネルーの10粒」である。なお、この塔には県下の戦没者諸霊も併祀されたという。
仏舎利はヴァリシンハから小田垣の手に渡され、仮宝塔へと奉安された。地鎮祭には栃木県知事である小平重吉(在任:1947/04/12-1955/02/05)、宇都宮市助役の宮沢宮市(市長代理)らが参列し、後援として日本宗教連盟栃木県支部、栃木県、宇都宮市、下野新聞社、宇都宮市遺族会連合会などが名を連ね、この仏舎利塔建立が政財宗教界3方からの支援をうけたものであることがわかる。
翌日の栃木新聞の記事によれば式典には老若男女2万名が集まったという。この数字は現実的ではないが、地鎮祭がいかに盛大に開催されたかが伝わるだろう。(*1955年宇都宮市人口:251,136人 国勢調査より)
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大谷石造りの仮宝塔(1954/5/13栃木新聞) |
こうして盛大な地鎮祭をもって建立計画が始まった仏舎利塔ではあるが、残念ながらその他の仏舎利塔と同様完成までには長い年月を費やすこととなる。
経緯は不明ながら1954年に地鎮祭を行った後、仏舎利塔の建立計画に進捗はなく、1958年(昭和33年)になってようやく建立にむけた動きが見られるようになる。
同年仏舎利塔建立促進協議会が発足、県仏舎利塔建立奉賛会の会長に東武宇都宮百貨店の発起人であり、初代社長を務めた河合長一郎が就任した。
翌1959年(昭和34年)9月11日にはインドから仏舎利塔参拝巡礼団が釈尊入滅2500年奉賛世界平和祈願法要に出席するために来日し、その法要には500名近い信者が集まったという。この法要の様子を伝える記事によれば、この時点で信者たちの勤労奉仕により仮宝塔までの観光道路が完成しており、これを機に1963年(昭和38年)3月完成を目標に、総工費7,000万円で塔の本工事を始めることが決まったという。
こうして建立計画は動き出し、奉賛会会員や宇都宮刑務所の服役囚による勤労奉仕で工事が進められ、1964年(昭和39年)に地鎮祭から数えて10年以上の歳月を経て宇都宮に仏舎利塔が湧現した。
1964年9月6日、完成落慶供養が執り行われ、式典にはインド、インドネシア、スウェーデン、ビルマ(現ミャンマー)、ドイツ、フランスの6か国代表計12名からなる仏舎利塔巡拝団も出席。菅沼栄海輪王寺門跡はじめ、県仏教会代表が法要を行った。
完成した仏舎利塔は鉄筋コンクリート造りで高さ31m、基壇直径30m。塔正面には高さ3mほどの合掌の釈尊像が安置されている。相輪の上部には黄金の擬宝珠が設置され、当時の報道では宇都宮の新名所としての期待も高かったようだ。
なお、完成当時は大谷石により覆われており、現在とは異なる姿であった。
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大谷石で覆われた仏舎利塔(1964/9/7下野新聞) |
時期は不明ながら、耐久性の問題から大谷石で覆われた外壁はなくなり、現在の姿になったといわれる。
2004年(平成16年)には建立40周年記念法要が開催された。また2005年(平成17年)には仏舎利塔至近にある富士見が丘団地から仏舎利塔へと繋がる坂道が「仏舎利坂」と命名されるなど、現在まで宇都宮市民に親しまれている。
なお、道路を挟んだ隣地には仮宝塔の一部が現在も残されている。
参考文献:
栃木県仏舎利塔建立奉賛会:世界平和の道標 御仏舎利塔建立地鎮祭
河合長一郎編:河合家の歩み
下野新聞 1954/5/12・1954/5/13・1959/9/12・1964/9/5・1964/9/7・2005/4/13
栃木新聞 1954/5/12・1954/5/13・1964/9/5
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仮宝塔の一部 |
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仮宝塔の一部 |
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栃木県庁より |
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栃木県庁より |
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日本山妙法寺宇都宮道場 |
栃木縣平和佛舎利塔
Address : 栃木県宇都宮市長岡町795-5
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